暮の26日から滞在していたおばあちゃんが、今日秩父に帰った。
夕方、日が西に傾き、家の中に明かりがほしい時間になるとジー・バー・ひなたの3人とも、おばあちゃんの姿がないのが気になる。何か物足りなくて、さみしくて・・・
ひなたに「おっきいバーちゃんはどうしたのかな?」とたずねると、しばらく姿を探した後、「ブーブーにのったァ! ギィタ(ひなた)のーなィ(乗らなかった)」と不平顔。
昼時、おばあちゃんは迎えに来てくれた輝大さんの車に乗って、ひなたはチャイルドシート付きの我が家の車に乗り分かれて昼食を食べに三浦に出向いたのだが、出発のとき輝大さんの車に乗れなかったのが不満でぐずっていた、このことを指しているらしい。
食後は2台とも近くのインターから高速道路にのりそのまま走り分かれたので、ひなたにはおっきいバーちゃんと同じ車に乗れなかったのがことの分け目になったと自覚しているのかどうか??
この暮から正月にかけて、慌しい毎日でパソコンを開く間もなく過ごしてしまったのだが、充実した日々だった~。
暮28日
13時成田着の飛行機で帰国するはずの玲央奈さんから16時になっても連絡が入らない。
午前中、北京空港から「今から搭乗する」と電話が入っていたし、「成田に到着後、友人に会ってから自宅へ向うので到着は遅くなる」と事前にメールも入っていたから私は特に心配はしていなかったのだが・・・
おばあちゃんは「玲ちゃんは未だ(成田に)着いてね~んかさ~??」と時計を見上げては気を揉んでいた。そんなおばあちゃんを見ていると私も不安な思いが・・・・
「北京は雪で、出発が2時間遅れになり、今成田に着いた」との電話は16時半頃だったか。
29日
玲央奈さんの、帰宅は日付が替わった29日の1時。
おばあちゃんと玲央奈さんの対面は8時過ぎ。玲央奈さんは寝不足の渋面だが、おばあちゃんは一目見るなり大粒の涙をポロポロ・・・ 玲於奈さんのパジャマの袖をつかんでしばし言葉が出ない・・・
9時過ぎ、玲央奈さんのを外出を見送ってから、昨日の続きの銀杏むきをモクモクと続け、午前中一杯でこの作業は完了となった。剥いてもらった銀杏は、今夕の炊き込みご飯に使う分を除いて、正月用品でほぼ満杯の冷凍庫にやっと収めた。
午後は、ひなたの昼寝にあわせてラックチェアーでウトウトと1時間半程。
いつも6時には始める夕食だが、この日は、買い物に出た玲央奈さんや仕事上がりの美季和さんの帰宅を待って8時になった。奈津美さん夫婦と愛犬のリーフは食事の準備段階から来てくれていて、総勢9人と1匹のにぎやかな席。
みんな健康に満ちたおだやかな笑顔で食卓を囲み乾杯!!
有難く、幸せ~!!・・・と実感。
30日
俊春さん・奈津美さんの運転で箱根湯元の温泉に浸かりに出掛けた。
「温泉には行きたくない」夫と、仕事に出ている泰英さんが行けないのは残念! で、男性1人と女性6人・メス1匹(岩倉家の愛犬リーフ)で出発。
貸切の休憩室に落ち着き、入浴は後回しにして、まず奈津美さん・美季和さんが作ってきてくれたお弁当で腹ごしらえ。1時間半くらいを部屋で過ごし、女6人がゾロゾロと浴室に向った時は、午前の入浴客が引き上げた頃合いだったのか空いていた。
おばあちゃんは大きな浴槽の片隅で肩まで浸かりジッと動かない。声をかけると(補聴器を外しているからこちらの言ってることは分からない)「いい湯なんな~!」と同じ返事が返ってくる。
一緒に浸かっていたこちらがのぼせてしまい、浴槽からあがってもらう。
おばあちゃんの頭のてっ辺から足の先まで磨き上げて、浴槽に戻るとき、露天風呂に誘ったのだが、風が強いのと湯温が低くく「寒い! やっぱり中の方がいい」と再び大浴槽の片隅へ。
ひなたは玲・奈・美の3人の大人に傅かれて大浴槽・露天風呂のあちらこちらと渡り歩いていた。(浴槽が室内に2箇所、露天に4,5箇所、サウナも在った)
風呂から上がって体重計にのると、おばあちゃんは42キロ、ひなたは12キロ。私は5?キロ・・・。
岐路、「鈴広」に寄って、おばあちゃんが大好き!な「あげかまぼこ」を食べ、沢山のお土産も買ってもらった。
31日
玲央奈さんは朝からお出かけ、shishikoは台所に入りきり。
ひなたはおっきいバーちゃんとジーちゃんと仲良く午前中をあそび過ごし、一度も台所に姿を見せなかった。何をして遊んでいたんだろう?
午後、魚を買いに三浦の市場へ行ってきたという岩倉夫妻は、「今夜のサシミはこれ! おばあちゃんはマグロが好きでしょ! たっぷり食べて!!」とひなたの肩丈ほどもある近海もののマグロ1尾を持って来てくれた。
早速おばあちゃんとひなたにお披露目。
おばあちゃんは「これがマグロっていう魚ナン?これがサシミになるン?」と。ひなたは「オッキィ!!」と一言もらして尻込み体勢だった。
サテ? どうサバイタのか!! 我が家のまな板を2枚並べても魚の身の丈に及ばず、大きな出刃包丁もない。ママよ!と キッチンのシンクの中に新聞紙を敷いて菜きり包丁で叩き切ったのだから、見かけは悲惨な「柵」と「剥き身」となった。
夜は又全員集合!
玲央奈さんは何時どこで身に着けたのか玄人はだしの腕前で、マグロを見事な大皿盛サシミに仕上げてくれた。味は抜群だったよ~!!
大島屋さんから届けてもらった蕎麦で年越しの夕食。
玲央奈さんは「この蕎麦をたべられただけで、帰国した甲斐がある~」と・・・。
天ぷらを揚げようと材料を準備しておいたのだが、昨日鈴広店内で食べきれず持ち帰った「あげかまぼこ」があったので、それを「チン!」して供して済ませちゃった。
おばあちゃんは「やっぱりうまいんな~!」とこれもうれしかったみたい。
元旦
大人4人(おばあちゃん・泰明・玲央奈・私)でささやかなおせちと雑煮の朝食を摂っているところへママに抱っこされたひなたが登場。いつもと雰囲気の違う食卓を見つけて直ちに大人のイスに這い上がって食事に参加したがる。座は一気にあわただしくなって・・・
大人5人で「着替えてから・・・ 自分の食卓イスに座って・・・」と説得してもすべて「イヤダ~」とテーブルにしがみついて拒否。ならば・・・と食卓から追い出されて・・・向こう三軒両隣に響くような声で泣き叫び続け・・・我が家でのひなたの今年の生活がスタートした。
長い長い泣きぐずりの後着替えて、ちょっぴりおせちをつまんで自宅に引き上げていったひなたは、その後パパ方の実家に出掛け姿を見せなかった。
ひなたが引き揚げて行った後おばあちゃんは、昨夜美季和さんに買ってきてもらった秩父へのお土産用「鳩サブレ」10袋の配布先を何回もメモしなおしたり数えなおしたり・・・最後に「やっぱり足りないナ~」とつぶやいていた。
午後、玲央奈さんも2階の自室に引き揚げシンとなった居間で、おばあちゃんは窓際の日当たりでうたた寝。かってより二回りほど小さくなったかと思われるがおだやかな面持ちで寝息を立てる姿にしばし見入る。
夕方、実家に挨拶に行ってきた岩倉夫妻が我が家にも挨拶にきてくれ、夕食を共にする。
岩倉ママ手作りの「べったら漬け」を頂き、おばあちゃんにはこれが今宵の一番のご馳走だったようだ。
2日
美季和さんは仕事始め。ひなたを預けにきて9時過ぎに出勤していった。追いかけるように玲央奈さんもデパートの初売りを覗いてくると外出。
ひなたとジーちゃんは居間に移り、私は台所へ食事の後片付けに立ち、ダイニングに取り残されたかたちのおばあちゃんは目が痛いといいながら居眠り。
片付けを終わっておばあちゃんの脇に腰を落としたのはおやつの時間になっていた。御茶を入れ換え、ゆったりとおやつとおしゃべり。
昨夕、登貴枝さんから電話で聞いた内容(秩父上町の家には松飾を付けあって、元旦に配達された年賀状も家の中に取り込んであり、植木鉢のみずやりも、すべて保夫さんがやってくれてある)を改めて伝えると、おばあちゃんは「そんなにまでしてくれて・・・」と涙ポロポロ。
そして・・・「実はゆうべ死んだ人の夢ばかりみていた・・・」と不安を訴えるような面持ち。
「ばかり」の言葉に不吉がよぎったが、「おじいちゃん・昭和さん・八十さん・千代さんも参賀にお出ましだったの?」と軽口で返すと・・・「出てきたのはK林さんだけだったけど・・・。ここ(我が家)で倒れたり、死にでもしたら、皆に厄介をかけるから・・・秩父に帰りたい・・・」と、ホームシックなのだ!!
帰りたい!となったら、すぐにも発ちたいおばあちゃんだとわかっているが、周りの状況は・・・
おばあちゃんには内緒だが、三姉妹が4日におばあちゃんの誕生会をやる準備を進めているし、5日は玲央奈さんが北京に戻る日でもあり秩父の登貴枝さんさんも夕方遅くまで外出の予定とのことで、6日以降でないと送っていく都合が立たない。
「6日まで我慢できる?」と尋ねると、「そんなに長く居させてもらって・・迷惑かけて・・もうしわけなくて・・・」とショポン!
「迷惑なんてことは無い! 何時までも居てもらっていいんだから! 申し訳ながることなんて無いんだから!」との泰明の説得におばあちゃんは大泣き。これはうれし泣きだったのか? すぐには帰れない無念の涙だったか???
午後3時過ぎ
昼寝から覚めたひなたとおばあちゃんと、団地内の高台に富士山を見に出掛けた。
晴天だけれど生憎の雲がかかっていて富士山は望めず。が、西日をうけてキラキラ光る逗子湾の水面の先に江ノ島が浮いて見える。
おばあちゃんはこの景色を眺めながら・・・
「江ノ島へ行ったっけな~! 江ノ島の近くの寺に南畑の鐘があって・・・ 鐘に『金蔵院』の刻印があるのを俊君が確認してくれて・・・ 父さんが役場の火事のときその鐘を乱打して・・・金蔵院の落慶式のとき満佐子さんがその鐘を見たいって言ってた・・・ けど1人では出掛けられそうも無いだろう・・・ 満子さんは役場の火事を知っているかな~?」と思い浮かぶアレコレを独り言のようにつぶやき続ける。
「おばあちゃんが秩父に帰る前に、満佐子さんを招いて鐘を見に行こうか!」と思い付きを伝えると、おばあちゃんは大喜び!!
ただし、鎌倉は初詣客で混雑するするからお招きするのは次週7日以降になって、おばあちゃんの帰秩はその先になるが・・・
「急いで帰る必要なんか無い!」と午前中のホームシックは完璧完治だ!!
3日
美季和さんは今日・明日と連休を取得。
三姉妹と俊春さんは、玲央奈さんの帰国前から約束していた、逗子小坪のイタリアンレストランへ昼食に出掛けた。オイテケボリのひなたは、おっきいバーちゃんと歌ったり踊ったりのお遊び。
ひなたは、「むかし~むかし~浦島は・・・」と歌がはじまると、大きなぬいぐるみの亀にまたがって体をゆすっている。どうやら浦島太郎の「お話」もしてもらったらしい。
午後
南畑の満佐子さんに電話。8日・9日でこちらにお出でいただけるとのお返事。
(8日は丁度ひなたママの休日だから、私は自由に行動できる!)池袋までお迎えに行くことを約束して、時間・その他は後日相談、ということにして受話器を置いた。
ぴったり横について聞き耳を立てていたおばあちゃんは、説明するまでも無く話の内容をバッチリ把握。直後から、頭の中は満佐子さんのことでイッパイ・イッパイになってしまったらしい。
「鐘を見には誰が連れて行ってくれるん? 満子さんは一泊しか出来ないんかさ~? 南畑へお土産を用意したいけど・・・ 8日の夕飯はどうするん?」などなど矢継ぎ早の質問。
ちょっと意地悪かな?と思ったけれど「周囲の皆に助けてもらわなければならない事が沢山あるし、しばらくは私にまかせてゴチャゴチャ言わないで!」と釘を刺す。
夕食
冷蔵庫の中には正月食品がかなり残っているので「食べに来て~!!」と、「全員集合!」が掛けてある。が、残り物を食卓に並べて見ると、やっぱり物足りない。
どうしようかな~と思いあぐねているところへ玲央奈さんが帰宅。テーブルの上と私の顔をチラっと見ただけで状況判断したらしく「餃子を作るネ」と・・・。即、作業開始。
いっぺんに仕上げられる(茹で餃子)にするからと、小麦粉に水をさして練りあげ、カワの下ごしらえ。(焼き餃子は、湯で練るんだって!)
それから、暮の30日以来食材は補充していない冷蔵庫の中を物色して、「小松菜と桜海老」 「卵とトマト」の2種類の「種」を用意。
練っておいた小麦粉をカワにのばし、種を包む頃には全員が揃い・・・
茹で上がりのアツアツ餃子が食卓にのると・・・
「おいしい~!!」 「こんな餃子初めて~!!」 「このおいしさ感動モン!!」・・・皿はたちまち空っぽ!!でした。
4日
おばあちゃんは起床一番「ゆうべは明け方4時まで寝られなかった!」とぼやく。
どうやら8日・9日に来てくださる満佐子さんとの事々をアレコレ思い巡らせていたらしい。昨夕この件に関しては口止めをされたのも応えているらしい。
遅い朝食の後、三姉妹は誘い合わせて(今日はひなたも連れて)横浜へ出掛けて行った。
年寄り3人の家の中はまことに静か。昨夜寝不足だったおばあちゃんは食堂の椅子で居眠り、私は暮以来使いっぱなしにしている台所の掃除。
午後3時過ぎ、やっと落ち着いて「8日・9日」をどうするか検討に取り掛かった。
ひなたを預かる必要が無く私が自由に行動できる8日は
早い時間に池袋で満佐子さんと落ち合ってJR湘南ラインで逗子へ直帰。
タクシーで自宅に戻って、そのまま車で湘南道路を小動(こゆるぎ)の信号脇のお寺まで行って、鐘をみる。(午前中にここまで行けそう!)
鎌倉市街に戻ってどこかで昼食(駐車場があって、椅子席で、和食系というと・・・湘南道路沿いにある夢庵あたりかな~?)。
その後、満佐子さんの希望によって長谷観音か、八幡宮あたりを見物しよう。おばあちゃんが買い足したい鳩サブレは豊島屋本店で買って・・・とスンナリ決まった。
問題は9日。
奈津美さんの助けを借りて(ひなたを一日預かって貰い)、おばあちゃんと満佐子さんをご自宅まで送って行き、日帰りするつもりでいたが・・・この日奈津美さんは歯医者の予約が入っているとのこと・・・私もお世話になっているこの歯医者、予約を外すと次の予約がなかなか取れない。
で、「7日以降なら何時でも迎えにいくよ~」と申し出を頂いてる輝大さんの好意に又々甘える事にしようかな~と・・・思いあぐねているところへ
三姉妹とひなたが、花とケーキとプレゼントの小包をかかえて帰ってきた。
5時半過ぎには伊藤君が大きな三段重ねの寿司桶を持ち込んできてくれ、一同が席に着いた。おばあちゃんの前に置かれたデコレーションケーキは超有名店製だがかわいくて小さい。「93本は立てられないからこれで我慢してね」と3本のローソクに火が灯され、ハッピバースデーの合唱。
ここでおばあちゃんはこの席が自分の誕生祝の会だと知る。
乾杯と拍手が終わると、おばあちゃんは驚き顔ながらも立ち上がり、堂々の挨拶を述べはじめたのだ。一同はおばあちゃんの貫禄に圧倒されてシ~ン!!
挨拶は続いて・・・「思いがけない長逗留になって厄介をかけているうえにこんな会までして貰って・・・」と今宵の会の事に言い及ぶと声が詰まって、顔はクシャクシャ、涙をポロポロ・・・お・ま・け・に・・・下の方からはラッパの音が高らかに「プー!!」
「すごいご挨拶!! 伴奏まで付けちゃって!!」 一同(含む本人)大爆笑。
5日
北京に戻る玲央奈さんは、正午に家を出発。
岩倉夫妻が逗子駅まで車で送ってくれた。
玄関で見送るおばあちゃんは、今生の別れのような言い方で玲央奈さんに迫り、迫られた玲央奈さんは困惑顔を残して去って行った。
午後
8日・9日の予定を確定。
9日は、輝大さんに迎えに来て貰い、帰りには、満佐子さんを南畑に送りとどけてから、秩父に向かって貰う事になった。
おばあちゃんにも口で伝えただけでなく紙に書いて渡した。
「輝君が来てくれるのは良かった!!、南畑に寄ってくれるのも良かった!!」と一しきり喜んだ後・・・「南畑に寄るんなら、私は南畑へ泊めて貰おう」と言い出し・・・
「そんなのダメだからね!」と強く念押ししたが、あきらめ切れない様子。私「ウ~ン!!どうしよう??」状態。
6日・7日
8日が待ち遠しくてたまらないおばあちゃん。
「満子さんと鐘がつけるようになるなんて思ってもいなかった・・・(満子さんを)呼んでくれてありがとう!!」
「私が長々と世話になってるうえに、満子さんをも招いて貰って・・・アリガタイ!!」と・・・我々夫婦にだけでなく、朝に晩に出入りする伊藤夫婦や岩倉夫婦にも繰り返し申し述べている。
一点気がかりは、「泰明さんは(鐘を見に)連れて行かないん? 1人で留守番させておいていいん?」だ。
おばあちゃんは、自分が見たい物・行きたいところは、誰もがも見たい・行きたい、に違いない、と思い込んでいるらしい。
泰明氏は行きっこないと決め込んで意向を確かめもしなかったが、おばあちゃんのこんな気持を察したのか、「2人の到着時刻を見計らって、おばあちゃんと車で逗子駅に出るから、そのまま寺に向おう」と・・・。これを聞いたおばあちゃんは「そうしてくれるかィ? 良かった~!!」と、大きく安堵の吐息。
その後は、ひなたと歩調をあわせ、午前は歌って・おどって、積み木を積んで・崩して、お絵かきしたりと遊び過ごし、昼食後は昼寝。目覚めてからは本を見たりテレビを見たり・・・の2日間だった。
8日
待ちに待った日!
「9時・池袋駅」の約束で落ち合った満佐子さんと私が、色々偶然が重なって、逗子駅に到着したのが10時10分。駅前におばあちゃんを乗せた泰明氏運転の車が待っていてくれた。直ちに134号路を西へ。
信号「小動」までは順調だったが、信号を右折して数メートルのところにあるはずの、寺の庫裏に到る路地がわからない。寺を2周した挙句、腰越漁港の駐車場に入った。(結果・この駐車場に駐車したのは○)
駐車場を出て134号を渡れば寺の西角。塀に沿って東に数メートル歩むと、寺『浄泉寺』の赤い門。
門を1っ歩入ったおばあちゃんは、「ここは前来たのと違う寺なんじゃね~ん?」と不安イッパイの面持ち。歩み進んで、本堂にあがる階段脇の両柱に1つずつ半鐘が掛かっているのを確認すると、「右側が南畑・金蔵院から出た鐘だ!」と思い出した。
鐘は、冬の陽をまともに受けて、うっすらと緑青を浮かせた様をはっきりと見せている。が、下から仰ぎ見ても鐘に打ってある文字は見えない。
無礼とは承知しながら、階段と手すりに足を掛け、鐘の文字を読み取ろうとしたが・・・太陽光・鐘(文字の打ってある面)・視線が直線上に並ぶ事に成り、眩しいのと文字面が暗くなるのとですべてを読み取ることが出来なかった。かろうじて「南畑村 金蔵院」と「住職とおぼしき人名」を確認し、何枚かの写真を撮影した。
おばあちゃんは、「父さんが撞いた鐘・・ 満子さんも見てくれて父さんが喜ぶだろう・・・」と情を込めて眺めるが、満佐子さんは「家に帰って(鐘に打ってある)住職の名前を調べてみよう。寄贈者の名前は書いてない?・・」と「鐘」そのものに強い関心を寄せていらした。
陽だまりの中ゆっくりと鐘を拝見した後、庫裏に回って挨拶をして寺を辞した。
駐車場に向って行くと、「地魚料理」の幟が目に入る。釣具屋の二階で階段の上り下りがおばあちゃんには気の毒だったけれど、ここで昼食・・・
「しらす定食」はおいしかった!!
満佐子さんは鎌倉の主だった寺社には何回も来ている、とのことなので、昼食後は江ノ島水族館に行ってみた。
駐車場の係員はおばあちゃんを見止めると、水族館の入り口に最も近い場所に車を誘導してくれたし、館内はレンタルの車椅子を利用してラクラク見物が出来た。
満佐子さん・おばあちゃん・泰明氏も・・・イルカショウに甚く感激したらしい・・・のは意外だった。